土佐一絃琴(いちげんきん)
一絃琴は,昭和44年に高知県無形民俗文化財に指定され、その演奏技術保持団体として正曲一絃琴白鷺会が認定されています。
一絃琴の歴史
歴史と伝説の入りまじった伝え話によると、平安時代に歌人在原行平が兵庫の須磨に左遷された時,浜辺に打ち上げられた舟板の一枚をひろって小屋に持ち帰り、冠の紐を取り付け、それを琴にして弾いたということです。以来、一絃琴は「須磨琴」といわれ、貴重な楽器とされていました。 江戸時代には,河内国駒谷の僧覚峰が須磨琴の復興を思い立ち,『枯野』『吉野』『君が代』の三曲を一絃琴に和して歌ったといいます。覚峰は、一絃琴中興の祖と呼ばれています。
土佐の一絃琴
土佐の一絃琴は、幕末に京都土佐藩邸に勤務した門田宇平(うへい)が一絃琴を習い、持ち帰ったことに始まります。宇平は、家元師範役の真鍋豊平(とよひら)について学び,土佐に戻ってからは高知城下に近い小高坂村(現在の高知市西町)に居をかまえ、一絃琴の教授を始めました。その後、島田勝子、その娘寿子、勝子の弟子秋沢久寿栄(くすえ)へと伝えられ、秋沢は昭和25年に一絃琴白鷺会を作りました。また,彼女の一絃琴弾奏技法は,昭和28年に高知県無形文化財となり、昭和29年には国指定無形文化財となりました。その後、一絃琴の奏法は昭和44年に高知県無形文化財に指定され、その演奏技術保持団体として正曲一絃琴白鷺会が認定されています。現在の正曲一絃琴白鷺会(田中美智子会長)は、春と秋に定期演奏会を開くとともに、ほぼ毎週火曜日の午前中と第三日曜日の午前中に高知市寺田寅彦記念館(高知市小津町4-5)で稽古を行っています。
正曲一絃琴白鷺会