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皿
器としての「皿鉢」

皿鉢は「さわち」と読み、現在では「皿鉢料理」のことを指すことが多いですが、本来は料理を乗せる器の総称です。

日本での皿鉢の歴史は古く、歴史文献によると室町時代には現在でいう皿鉢が焼かれていたとの記述が見られます。当時の皿鉢は現在のものと形状が少し異なり、深さのある足付きの器であり、また器の形に合わせて浅鉢、深鉢、大皿、大鉢などと呼ばれていました。このうち浅鉢が土佐で「サハチ」と呼ばれ始めたのが江戸時代と言われています。

また、土佐の皿鉢は陶器製のものが好んで用いられますが、古来「遠流の国」と言われた土佐では輸送の困難な本州の瀬戸からではなく九州の唐津から運ばれることが多かったようです。このことから現代でも関東では陶器のことを「瀬戸物」と呼ぶのに対し、高知では「カラツ」と呼ばれています。

皿鉢料理
歴史

元来「皿鉢料理」は土佐だけのものではなく、全国的に存在していた料理です。各地の氏神祭りの際などに神への供え物として集められた自然の恵みは神事の最後に料理され、神事の参加者たちは大皿に盛られた料理を分け合い、酒宴を開いていたのです。こういった料理は「盛り鉢料理」などの名称で明治中期まで全国的に残っていたようです。

一方で土佐では、慶長六年(1601年)の山内一豊公の入国以来「剛健質素」を藩是としていたことから、ぜいたく品とみなされた皿鉢は当時あまり一般には流通しておりませんでした。その後明治に入り商業の自由化が図られ皿鉢の売買が自由となり、また、封建的身分制度の全廃によって急速に皿鉢料理が普及・発達し、懐石料理等とは違う「形式にこだわらない」スタイルが土佐人の気質に合い、現在まで受け継がれています。

皿鉢料理
皿鉢文化

皿鉢料理は本膳料理や懐石料理のように難しい決まり事はなく、例えば皿鉢の大きさによって区分などをされていることもありません。

料理は煮物・焼き物・揚げ物・すし・デザートなどを盛り込んだ「組み物」と「生(刺身)」が基本ですが、そこに季節によってたたきや鯛そうめんが追加されたり、祝宴では活造りが出されることもあります。盛り方にも特別な決まり事がなく、食べる際にも自分の好きなものを自由に取って良いとまさに土佐人の気質と同じ「自由奔放」な料理です。

しかしながら、その自由の中でも奇数と偶数、中高と中低などの縁起や習俗を反映させることは昔から重要視されており、料理の種類や盛り方、時には刺身の切れの数までも祝儀、不祝儀によって使い分けをされています。

(参考文献:土佐流おもてなし 皿鉢・たたき・節会/著 宮川 逸雄)